MATSUGAOKA
CRAFT PARK

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「kibisoから見えてくる、シルク産業の未来」 大和匡輔さん /松ヶ岡のヒトビトvol.01

2020.11.10 UP

松ヶ岡クラフトパークの原点は、幕末から明治へ激動の時代の中、戊辰戦争での賊軍との汚名を晴らすため、旧庄内藩士たちが刀から鍬へ持ち替え、鶴岡のシルク産業の礎を築いた「松ヶ岡開墾場」。その正統なDNAを継承するのが、鶴岡シルク株式会社の大和匡輔さん。鶴岡で脈々と続いてきた先人たちの功績に敬意を払いながら、歴史の殻に閉じこもるのではなく、常にイノベーションを意識し、情熱を失わない大和さんにお話を伺いました。

鶴岡シルク株式会社 代表取締役 大和匡輔さん

心動かすシルク。「kibiso」の誕生

「一つの繭から、絹糸が1200mとれるんです。繭からずっと連綿と糸引いて、中にはさなぎが見えてくる。命を感じるでしょう。東京から訪れたクリエイターを製糸工場にお連れすると、みなさん感動してくださいます。涙を流す方もいらっしゃいました」

大和さんが情熱的に語ってくれたのは、ひとつの繭から生まれるシルクのストーリー。命を感じるものだからこそ、感動を生み出せる。そこに大きく心揺すぶられた一人が、ジュンコシマダを長年ビジネス面で支え、元東京ファッションデザイナー協議会議長も務めた岡田茂樹さんでした。

大和さんが、製糸工場に岡田さんをお連れしたときに、目にとまったのが、蚕が繭を作る最初の段階で出す糸「きびそ」でした。太さもまちまちで絹糸にするにはゴワゴワしていて、それまでは織物にされてこなかったもの。それをもとに、一般的な繊維素材とは異なる風合いを活かして、これまでにないものづくりができるのではないか。岡田さんから日本を代表するテキスタイルデザイナーの須藤玲子さんにご縁がつながりました。

キビソ

パリ、ミラノ、ロンドン、NY。春夏、秋冬とコレクションを重ね、流行を予測し、生地を買い付け、また新しい洋服づくりを行っていく…そんなファッション業界のルーティンに閉塞感を漂いはじめたころ、シルクという素材の生まれる、命の現場を目の当たりにして、須藤さんも大きく感動してくれたそうです。

岡田さんがプロデューサーを務め、須藤さんの監修のもと、素材開発が進められ、立ち上がったのが現在クラフトパークの二番蚕室にショップを構える鶴岡シルクのトップブランド「kibiso」です。感動の種を見つけてくれるのは、いつだって外の人。それまで見向きもされていなかった「きびそ」に着目したその視点は外の人ならではのもの。それを中の人、つまり職人たちが柔軟に受け入れ、いかに応えていけるのか。「kibiso」は、その情熱の結晶とも言えるかもしれません。

お二人からのご縁が繋がって、東京のファッションシーンを賑わす気鋭のデザイナーたちが続々と鶴岡を訪れ、その現場に感動し、心動かされて数々のプロダクトを手がける。そういった感動の連鎖から生み出されたプロダクトは、近年海外の展示会などでも高い評価を得ています。

今再び時代に求められて

「世の中のキーワードは〝サステナブル〟であり、〝エシカル〟です。これまでファッション業界では、春夏、秋冬とコレクションを重ねて流行を生み出し、言い方は悪いですが使い捨ててきたんです。その考え方に今、時代はNOを突きつけています。そんな中、シルクに目を向けると昔から循環型の素材でした。子ども、孫までと、ひとつの着物を仕立て直し、最後はボロ雑巾になるまで使う。こういったことは世界にあらためてアピールしていきたいと思うんです」

色鮮やかなキビソのストール

昔から着物としてつくられた後も、何度も仕立て直され、繰り返し生活の中で使われてきた絹織物。絹糸を生み出す蚕は、食料となる桑に、少しでも農薬がついていると死んでしまうんだそう。必然的にオーガニックな環境でなければ、育てられません。

そもそも繭は、さなぎになった蚕を守るためのもの。シルクが持つ「紫外線吸収」「抗酸化作用」「抗アレルギー作用」といった機能性は、そんな生命の神秘からもたらせられたものと言えるかもしれません。コストの安い海外産の絹素材や合成繊維に押されてシルク産業が衰退していった歴史もありますが、「3,000年続いたシルク産業が、たった60年の歴史しかない合成繊維に取って代わられるはずがない」と大和社長は語ります。オーガニックな環境で育つ桑と蚕から生み出され、無駄のないサステナブル(循環型)な素材である絹は、今再び時代に求められるものなのかもしれません。

源流は歴史のなかに

「『武士たるもの、農民から一切の土地を奪ってはならい』『武士たるもの農民の米づくりを侵してはならない』と、郊外に出て開墾したのが松ヶ岡です。この開墾場の柱や瓦もすべて庄内藩のお城のものです。ここにはそういった庄内藩の先人たちのスピリットが宿っているんです」

松ヶ岡を語る上でかかせないのは庄内藩士たちのストーリー。幕末の鶴岡の風景を想像しながら大和さんの言葉に耳を傾けていきます。

松ヶ岡の歴史と未来を語る大和さん

戊辰戦争で旧幕府軍として戦った庄内藩は、新政府軍に敗れて賊軍となってしまいました。その汚名を晴らすため、藩主である酒井家と庄内藩士たちが当時輸出品として貴重だった生糸を生産して新国家に貢献しようと3,000名もの藩士たちが、刀を鍬に持ち替え、養蚕に必要な桑畑を開墾していったとのこと。その際、大和さんが語ってくれたように、農民たちの生活にも目を向けながら、鶴岡の中心部から遠く離れた荒野を開拓していった侍たちの背中に、今の松ヶ岡があります。

当時、米沢藩から桑の苗や蚕を分けてもらったり、桑の葉が育つまで3年という時を待つ間に、城を解体し蚕室を建てたり、武家の娘たちが富岡製糸場で製糸技術を学びにいく。そうやって、当時の先進地と交流を重ねながら、鶴岡のシルク産業の息吹があがりました。

さらにその後、発明家斎藤外市によって「斎外式力織機」を発明されたことが新たな契機になります。それまで和装用の生地しか織れなかった時代に、革新的な自動力織機によって「広幅」とよばれる洋装用の生地を作れるようになったことで、輸出産業として大きく飛躍していきます。

美しい輪。鶴岡の中で完結するシルク産業

「今から125年前に織物組合が染色学校としてつくったのが現在の鶴岡工業高校。また女工さんを育てる家政校として生まれたのが鶴岡中央高校。〝人づくり〟に力をいれてきたのも鶴岡の歴史なんです」

ひとつの産業が世代を超えて受け継がれていくためには、モノをつくるだけでなく、人を育てなければなりません。藩校・致道館で徂徠学を教え、教育を重んじた庄内藩の気風がここにも現れているのかもしれません。

シルク産業に携わる人材を育成するために学校をつくり、さらに風間家など、鶴岡の有力な商家が織物工場をつくったり、銀行として投資しながら、これを支えていく。こういった地域の人々が一体になって、シルク産業を支える構図が出来上がっていきます。

そういった過程のなかで「養蚕」、「製糸」、「製織」、「精練」、「染色・捺染」「縫製」まで、絹製品に関するすべての作業を、ひとつの地域で行えるように産業が育まれていきました。時代の荒波にさらされ、シルク産業に関する、すべての工程の生産拠点が残るのは、現在日本ではここ鶴岡だけ。それが繋がってきた背景には、脈々と続いてきた歴史と、先人たちの想いを受け継いでいく、鶴岡の人たちのスピリットが宿っている。大和さんのお話に大きく頷きつつ、背筋も伸びる思いです。

商品の生産段階から流通過程をすべて透明化する「トレーサビリティー」という概念が注目されたり、エシカル(倫理的)であることが求める現代。さらにはコロナ禍では、多くの製造業が海外生産された部品などに依存することから生産がストップしてしまうような事態も見受けられました。シルク産業の拠点としての鶴岡という街は存在感を増すばかりです。

未来を見据えて

クラフトパークでは現在、蚕室などの整備計画が進んでいて、kibisoショップのリニューアルも計画中です。またクラフトパークに隣接する形で、志を同じくする地元企業であるエルサングループがワイナリー「ピノ・コリーナ」を立ち上げました。開墾時にたくさん人々の想いを受け止めた松ヶ岡という場所が、今再び、大きく動きだそうとしています。

2番蚕室内にあるkibisoショップ

「松ヶ岡をクリエイティブな人たちが集う場所にしたい」と語る大和さん。

出羽三山に育まれた美しい水の循環に育まれた土地。庄内藩士たちのスピリッツが宿る松ヶ岡に、クリエイターやアーティストたちが運んでくる感動の種が花開く。そんな風景を地域の人たちと分かち合えたら。大和さんは未来を見据えています。


kibiso ショップ

鶴岡のシルク製品ブランド「kibiso」を展示、販売しています。
販売商品ストール/バッグ/帽子/スリッパ/傘/ブックカバー/インテリア/ビジネス/その他
■場所:二番蚕室
■営業時間:10:00~15:00 
※時短営業中定休日⽔曜⽇(祝⽇の場合は翌平⽇)年末年始休業有
■TEL:0235-29-1607

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