2022.09.30 UP
養蚕に欠かせない桑畑の間作として進められ、明治8年には最初の茶摘みと製茶が行われました。しかし、開墾場の茶栽培はなかなか思うような製品がつくれず明治13年に断念することに。
時は流れ「もう1度、実現できなかった先祖の夢に挑戦してみたい」と、開墾士の子孫たちが発起人となり、松ヶ岡のお茶復活に向けたプロジェクトを平成22年に立ち上げました。
西郷隆盛ともゆかりがある松ヶ岡紅茶。歴史に想いを馳せながら、松ヶ岡の土地の香りとやさしい甘みをぜひご堪能ください。
明治5年、戊辰戦争で敗れた庄内藩。厳しい処分を覚悟していましたが、言い渡された処分は驚くほど寛大なもの。後にこの処分が西郷隆盛の指示によるものと知った庄内藩士は感銘して教えを受け、後に「南洲翁遺(なんしゅうおういくん)」としてまとめています。
松ヶ岡開墾も西郷の後押しがあり始まったものでした。
明治8年に最初の茶摘みと製茶が行われた際にも、開墾士たちは西郷にそのお茶を送り名前をつけてほしいとお願いしました。
そのお願いに対して西郷は、開墾の基幹となった6人の小隊長名から一字ずつとって「林月、水蓮、都山、敦本、原泉、白露」と名前のアイデアを贈ったとういうエピソードが残っています。
松ヶ岡茶葉100%の「地紅茶」として復活。
二番蚕室「一翠苑」/販売価格 370円